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さて、「今日の一言メモ」第542回です。
「ルビコン川を渡る」
「ルビコン川を渡る」とは、ある重大な決断・行動をすることの例えです。ルビコン川とは、古代ローマ時代、ガリアとイタリアとの境をなした川で、ルビコン川より内側には軍隊を連れて入ってはいけないとされていました。
違反すれば反逆者として処罰されたのですが、ユリウス・カエサルが大軍を引き連れてこの川を渡り、ローマへ向かいました。カエサルは「賽は投げられた」と叫び、元老院令を無視して渡河したという故事に基づいています。
このことから、もう後戻りはできないという覚悟のもと、重大な決断や行動を起こすことをいうようになったのです。
後戻りはできない決断
人生でルビコン川を渡るような決断というとなんでしょうか。結婚も重大な決断ですよね。最近では離婚は珍しくなくなり、バツ1はモテるとか、いろいろと言われていますが実際はどうなんでしょう?
でも、少なくとも結婚するときは離婚することなど考えていないはずで、一生の伴侶として誓いを立てるわけです。
会社もいまや転職は当たり前となったので、それほど大きな決断ではないかもしれません。でも、僕の場合、55歳で33年間勤めた会社をアーリーリタイアメントし、フリーランスのITコンサルタントとして独立起業する決断をしたときは、ある意味ルビコン川を渡るような決断でした。
もう会社員生活には戻れないのだ、という覚悟をもっていました。
川向こうの景色が見えていることが大事
川を渡るときに、川向こうにどのような世界が広がっているのか見えていないとさすがに渡る勇気は持てないでしょう。
僕の場合は、川向こうにフリーランスとして活躍している先人たちの姿がありました。そして、その先人たちが川向こうから「早くこっちへ渡っておいで」と手招きしている気がしていたのです。
そして、会社の早期退職優遇制度を活用して退職の決断をしたのは今から9年前の2011年のことでした。そのとき、川向こうに渡ろうと決断した大きな「理由」は、「自由な生き方」を手に入れることだったのです。
したい仕事をする自由、オンとオフの境がなく自由な時間に働きながら生きる自由、24時間365日を自分の思うとおりに設計できる自由、満員の通勤電車に乗らない自由、退屈な会議に参加しない自由、ネクタイを締めない自由、そして、付き合いたくない人と付き合わない自由・・・そうした自由を手に入れるための独立でした。
そうした自由を手に入れるためには、組織に属していることで受けられるさまざまな恩恵を手放す必要がありました。毎月きちんと振り込まれるお給料、毎年夏と冬には金額の多寡はあるものの支給される賞与。その他福利厚生や休業補償などをはじめ、組織が代行してくれる手続きなどがあります。そうしたすべてと訣別したわけです。
そんな組織の庇護と引き換えに手に入れた自由です。独立してしばらくは収入も不安定で先が見えない時期がありました。でも、今はいろんな人の力を借りてまがりなりにも自由に生きる時間を手に入れることができました。
そんな自由をもう手放すことはできません。これからも健康に留意して、定年のない仕事、人さまに喜んでもらえる仕事を続けながら生きていきたいと思っています。
そして、自分の生き方として定めた「人さまに貢献するために精進し続けること」を愚直に果たしていくつもりです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.9.26記)