さて、ちょっと調べ物をしていて横道にそれてしまい(^^; 、1929年の今日、「アンネの日記」で知られるアンネ・フランクが生まれたことを知りました。
そして、こんどは唐突に「赤毛のアン」を連想しました。アン繋がりですね。
そうすると、こんどはNHKの連続テレビ小説「花子とアン」が思い浮かびました。
「花子とアン」の主人公は村岡花子
「花子とアン」はご覧になっていますか?我が家では、毎週土曜日の午前中、BS NHK でその週の6話分を纏めて再放送しているので、それを録画して見ています。
主人公を演じているのは、吉高由里子さん、ナレーションは、あの美輪明宏さんで、独特の語り口が印象的です。
主人公・村岡花子は、日本で初めて「赤毛のアン」を翻訳紹介した方です。
今までのあらすじは、ざっと次のようなものです。
山梨県甲府の貧しい小作農家に生まれ育った主人公・安東はなが、貧しい中で尋常小学校に通い始める。読み書きを習い始めたはなの聡明さに感心した父は、彼女を東京のミッションスクール・修和女学校へ編入させる。
女学校へ転校当初、慣れない環境と苦手な英語に囲まれ、はなはホームシックになるが、さまざまな出来事を通して、懸命に英語の勉強に取り組む決意をする。
その5年後には、英語の成績はクラスで一番になるほど優秀になる。
16歳の時、伯爵家の令嬢だが離縁を経験するなどの特殊な事情で編入してきた、8歳年上の葉山蓮子と当初は反発し合うものの、大文学会の演劇などを通して「腹心の友」となるまでに心を通い合わせる。
ほどなくして蓮子は、実家の窮乏という事情から福岡の実業家・嘉納伝助の元へ嫁ぐことが決まり、反対するはなと仲違いして女学校を去る。しかし蓮子は、全く環境の異なる中で孤立する。
女学校を卒業したはなは、実家の経済的援助のため、希望していた東京の出版社への就職を諦め、故郷の小学校の代用教員に就任する。
試行錯誤しながら教鞭をとるなか、ある生徒のために創作した童話『みみずの女王』が児童文学賞を受賞する。
その後は、教職の道に戻るが、4年の月日が流れたある日、歌集を出版した蓮子からの手紙に触発され再び筆を執る。
第二作『たんぽぽの目』は、かつてのアルバイト先の出版社編集長の高評価を得て出版が決まり、同時に彼が創業する出版社へ就職の誘いを受ける。
といった流れで、今週分はまだ見ていないので、今後の展開が楽しみです。
村岡花子の生き方
主人公が生きた、明治・大正・昭和という時代は、まだ女性の地位が確立していない時期です。職業婦人という言葉にあるように、手に職を持つ女性も少数派でした。
「女だてらに」という世間の常識が一般的な時代ですよね。
そんな時代の中、貧しい小作農家の長女として生まれた主人公が、自分の生き方を模索する中で、時には悩み、時には出口のない模索が続く日々を経験しながら、回り道をしながらも徐々に生き方を定めていく姿には引き込まれます。
親の想い、経済的な事情、周囲からのプレッシャー・・・さまざまなことが障害となり、回り道を余儀なくされます。
しかし、それに屈することなく、恵まれた人間関係にも励まされ、自分が進む道を見つけ、進んでいきます。
目標を内面化することで、言い訳を許さない
以前、「目標達成への判断基準を、自分の内部に持つ」というタイトルでブログ記事をアップしました。
目標達成への判断基準を、自分の内部に持つ | ITで第二の人生を切り拓く、シニア起業家ブログ
「目指す最終目標は、ゴールに到達することではなく、ゴールを目指す過程で自分のベストを尽くすことだ。」 …
この中で、富田が今年新たに定めた基本スタンスが、以下の通りであるということも書きました。
「目指す最終目標は、ゴールに到達することではなく、ゴールを目指す過程で自分のベストを尽くすことだ。」
これは、他者が介在する余地、すなわち不可抗力を排し、全ての結果責任を自身で負う、すなわち可抗力のみに立ち向かう勇気を持つことを示しています。
ということは、他者 (不可抗力) の存在による言い訳ができないことを意味します。
親や周囲の意見、経済的な問題や時間的制約など、さまざまなことを言い訳にして、自分が「できないこと」を正当化することはできません。
村岡花子も、さまざまな問題に直面し、時には回り道を強いられますが、それでも自分が「好きなこと、やりたいこと」を実現させていきます。
凡人である自分も、回り道をすることはしょっちゅうあります。
でも、道を元に戻すことを常に意識して、自分ができるベストに近づけていきたいと、そんなふうに考えた梅雨の朝なのでした。
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さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
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(2014.6.12記)