さて、今日は26年前に日経平均株価の最高値を記録した日です。
「日経平均最高値を記録した日」とは?
今から26年前、あのバブル景気も絶頂期を迎えようとしていた1989年12月29日の大納会で、日経平均株価が算出開始以来の最高値 (ザラ場 38,957.44円、終値 38,915.87円) を記録しました。
今日の株価が19,000円弱ですから、2倍以上の株価を記録したわけです。
しかし、この後バブル景気は崩壊し、株価も急激に下落することになります。
「日経平均最高値を記録した日」に思うこと
日本のバブル景気の期間は、1986年 (昭和61年) 12月〜1991年 (平成3年) 2月までの4年3か月 (51か月) 間を指します。
僕は、バブル景気真っ只中の1989年 (平成元年) に、当時勤務していた会社の京都支店から本社人事部に異動になり、新卒採用・研修業務を担当しました。
このころの就職戦線は、今では考えられませんが、それなりの大学の卒業見込証明書と成績証明書と履歴書を揃えて提出すれば、どこでも (過言ではなく) 内々定が貰えるような時代でした。
優秀な学生は、大手有名企業の内々定をいくつも手にして、どこを選ぼうかと悩んでいるほどだったのです。
企業側も、優秀な学生を採用しようと必死です。大手銀行をはじめとする大量採用企業の中には内々定を出した学生に対して、3S (ステーキ・しゃぶしゃぷ・すき焼き) + 1S (ソープランド) という接待攻勢をかけていたのが話題になりました。
就職協定上の内定開始日には、内々定者を集めて温泉地やリゾート地の旅館・ホテルで拘束合宿をするのが当たり前でした。
この頃に採用された学生達は、学生時代にあまりに厚遇されたので、入社後に社会人の洗礼を浴びて愕然とする者が多数出ました。
そして、その環境に耐えきれず、早々に退職してしまう若者が続出しました。これが「第二新卒」という言葉を生んだのです。
翻ってみれば、僕が就職活動をしていた1977年 (昭和52年) は、第二次オイルショック後の就職氷河期でなかなか内定を貰えませんでした。あっちこっちの会社で、一生懸命頭を下げて活動をしていました。
それが、自分が人事部に配属されて学生を採用する立場になってからは、優秀な学生を確保すべく必死に学生に頭を下げて、なんとか入社してくれるようお願いしたものです…(^^;
まったく面白い巡り合わせでした。
採用活動のお仕事をしていて良かったことは、平日の真っ昼間から堂々と女子大生に電話して、じっくりお話できたことでしょうか…(。_・)\バキッ
ま、冗談はさておき、そんな巡り合わせの中で、人を見る目は着実に養われたと思います。
そして、どんな時代になっても、ビジネスの根幹は「人」そのものであるな、と思うようになったのです。
・・・というわけで、株価の上下や景気の動向に左右されることなく、泰然自若と生きていかねば、と改めて思った「日経平均最高値を記録した日」の朝なのでした。
・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・
(2015.12.29記)