Challenge Next Stage 〜目指せ!出版への道〜

105 「自分史」で紐解く自らの成り立ち (その4) 〜徒然なるままに(54)〜

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アイキャッチ画像これまで3回に亘り、現在の富田を形作ってきた、特徴的な歴史物語を綴ってきました。今回も続けます。

これまでの歴史物語

Ⅰ. OA暗黒時代から黎明期へ (1978年<昭和53年>〜1983年<昭和58年>)

※事務作業の自動化(Office Automation = OA)

今のパソコンとは全く異なりますが、1970年代の終わりにプログラム大型電卓と出会ったことにより複雑な計算業務から開放された。
・・・まさしく今の自分に至る原点
・・・ → 今ある仕事を如何に「楽に・早く・間違いなく」片付けるか。

Ⅱ. 関西で迎えたパソコン誕生期 (1983年<昭和58年>〜1986年<昭和61年>)

当時のパソコンではBASICと呼ばれるプログラミング言語でプログラムを組まないと何も出来なかったが、純国産のSORD社のパソコンにより簡単な表作成と計算ができるようになった。それを営業事務に活用して楽をしようとしたら大型契約までとれてしまった!
・・・自分を更にコンピュータ活用に向かわせる決定的な出来事
・・・ → 計算処理から役に立つデータベースへ。

Ⅲ. 京都でMS-DOSパソコンの登場を迎える (1986年<昭和61年>〜1990年<平成2年>)

文字ベースのMS-DOS搭載パソコンの登場、ワープロソフト一太郎、表計算ソフトLotus1-2-3の導入により現在の一般的に利用されているOfficeソフトであるWordやExcelの原型が形作られた時期。Lotus1-2-3のマクロ機能を利用して処理の自動化を進めた。
・・・パソコンを利用して「より時間をもたらしてくれる仕組み」を作ることが定着した時期
・・・ → ラップトップPCの登場で日常的に使用するツールへ。

パソコン通信が世界を広げる

昭和天皇が崩御され元号が平成に変わった1989年、6年半に亘る大阪・京都勤務を終えて東京本店に戻ることになりました。

※ 同じ年の6月、中国では天安門事件が勃発し、国内では美空ひばり逝去の報が流れました。

異動先は人事部です。ここでも「自分史」を紐解いてみましょう。

どうやら人事部に配属された第一要因としてパソコンに詳しい者、というのがあったらしい。で、最初の仕事は社員の賞与計算。なんと当時500名程の社員の給与や賞与は、Lotus1-2-3のワークシートで計算し、給与計算会社に提出する帳票にプリントアウトしていたのである。

当時のPCのスペックでは、メモリを最大拡張可能な4MBにしても、流石に500人分の計算に時間がかかるので、自動再計算機能をオフにして、様々な条件入力が終わってからおもむろに再計算を実行、1〜2分待ってやっと計算終了という状態であった。

それに、1つのワークシートでは容量にも限界があり、複数のファイルで人事データを管理しているのだった。これでは、社員が増えたり減ったりした時や異動があった時に全てのファイルをメンテナンスしなければならず、データベースの導入は必然であった。

前任者が導入だけしていたPC用のリレーショナルデータベースソフトである「MRDB」を使って大急ぎで人事データをLotus1-2-3からパスし、部署、資格等のコード表と、基本的な人事マスターを作り、それをベースに職歴マスターや給与マスター、賞与マスターなどを次々と作成。

※リレーショナルデータベースとは、例えば一人の社員に関するデータを、社員番号や氏名等の基本データ、部署の異動歴データ、給与データ、賞与データ等複数の表に分けておき、全ての表に社員番号を入力、その社員番号をキーに各データを紐付けて処理を行うことで、合理的なデータの保持を可能とする方法。

気が付けば、またもや残業と休日出勤の日々が続いた。次なるステップは複数PCのネットワーク化。今のようなLANを構築するには結構面倒でSONYのデスクトップPCをサーバーとして設置、なんとかというサーバー用ソフトを導入して複数のJ3100をネットワーク化した。

こうした日々の中で、当時パソコン通信と呼ばれたサービスに出会います。再び「自分史」から引用すると・・・

この頃に始めたのがパソコン通信である。今のNIFTYの前身であるNifty-SERVEという会社が、パソコン通信という仕組みを提供していたのだ。

今では考えられないほど遅いモデムと呼ばれる通信装置をPCとアナログ電話回線に繋いでアクセスしたものである。ちなみに今の光回線では100Mbpsとか1Gbpsというスピードだが、当時は1,200bpsとか2,400bpsとか桁違いの遅さ・・・画像のやり取り等とんでもない時代であった。(そもそもテキストベースのデータしかなかったが・・・)

繋いでいる時間だけ従量課金される電話料金を節約するため、オートパイロットプログラムというものを有志がフリーソフトとして開発していて、それをダウンロードし、いかに通信時間を短縮するか工夫したものである。

当初は企業情報や人物情報等の有料データベースを利用するために始めたNifty-SERVEだが、そのサービスの一つとして、電子メールと共に当時フォーラムと呼ばれた電子会議室があり、共通の趣味やテーマ毎に同好の志が集い、文字だけで色々情報交換していた。

当方もパソコンの使いこなしやビジネス利用を工夫するフォーラムに入会し、様々な情報交換を行った。そして時にはオフ会が開かれ、初対面でもすぐに打ち解けて飲み食いし、大いに盛り上がったものである。

昨今のFacebookの普及によって、当時のメンバーと20年振りに交流が復活し、2012年暮れには8人が集まって忘年会を開き、旧交を温め楽しい時間を過ごした。

このパソコン通信と呼ばれるサービスによって初めてパソコンが外の世界と繋がり、それまでの単なる事務処理マシンからコミュニケーションツールへと変貌を遂げたのです。

動画はおろか画像などもやり取りできない、本当に文字だけのコミュニケーションでしたが、会員だけのクローズな世界とはいえ、全く見ず知らずの他人と出会い、文字で会話し意見を交換する、という体験はとても刺激的でした。オフ会で初めてお会いしても、とても初対面とは思えない親密さを感じるのは不思議な体験でもありました。

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さて次回は、いよいよインターネットが登場し、そしてMacやWindows95によってユーザー・インターフェースが大きく変わり、一気にパソコンの普及が進んだ世界についてご紹介しましょう。
ではまた!(^_^)

 
 

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(2014.1.11記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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