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さて、3日続けてアドラー心理学について書かれた「嫌われる勇気」に関して、思い出し考えたことを書き留めてきました。(記事①、②、③)
そして、記事③の最後に書いた通り、アドラーが説いた「自由に生きるには、他者に嫌われる勇気が必要だ」という点に関係して、僕が56歳の時に自分自身と戦った記憶が蘇りました。
フリーランスとして独立して半年後に訪れた転機
僕は、55歳になった2011年3月に、それまで33年間勤めた会社をアーリーリタイアメントしました。
それから1年間、夫婦であちこちを旅して宮仕えの垢を落としつつ、独立起業の準備を進めたのです。
そして2012年の春、フリーランスのITコンサルタントとして再出発しました。その年の10月に、独自ドメインを取得し、サーバーをレンタルして、WorePressブログを開設しました。
この頃は、独立して半年以上が経ち、地場を固めているところでした。独立したのだから、しっかりと地に足を付けて前向きに進んで行かねば・・・と力んでいた時期でもありました。
そんな時にブログを開設し、自分自身と向き合って記事を書くうちに、それまで無意識に目を背けていた事実が、ある輪郭を持って浮かび上がってきたのです。
それは・・・「打席に立って三振するより、打席に立たない方が恥ずかしいことだ。」と固く信じていたのに、「試行錯誤して失敗することを怖がっている自分」「みっともない姿を晒すことを怖がっている自分」「臆病で前に踏み出すことを躊躇している自分」がそこにいたのです。
内面に巣くう「世間体」「見栄」「プライド」との戦い
フリーランスとして独立して半年余り、いろんなことを経験し、学んでいる頃でした。
気がつくとそこには、信頼されるコンサルタントとして評価されるように、絶対弱みを見せないように力んでいた自分がいたのです。
結果として、その力みが自縄自縛となり、失敗を恐れて色々な事に積極的に取り組むことを躊躇させていました。
頭では「打席に立って三振するより、打席に立たない方が恥ずかしいことだ。」と思っているのに、分かっているはずなのに、その時は身体が言うことを聞かなくなっていたのです。
その時は、「他の人に認められたい、評価されたい」という承認欲求が強く、それが却って行動にブレーキをかけていたのですね。
何か変なことをしでかして、人から後ろ指を指されたり、バカにされたり、イタい人だと思われることを極端に恐れていたわけです。
ここから、自分の内面に巣くう「世間体」「見栄」「プライド」との戦いが始まりました。
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さて、長くなってきたので、今日はここまでにしましょう。
こうして気付いてしまった事実とどう向き合い、どのようにそこから脱却したか・・・については次回に。
ではまた!
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(2017.2.25記)