Challenge Next Stage 〜目指せ!出版への道〜

【稽古は強かれ、情識はなかれ】・・・歳を重ねても慢心せず、虚心坦懐に修練を重ねることが大事

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(画像出典元はこちら)

さて、今日の故事ことわざは、「稽古は強かれ、情識はなかれ」です。

ここ四日間のブログ記事で、世阿弥の「離見の見」「初心忘るべからず」「衆人愛敬」「時節感当」という印象深い言葉をご紹介しました。今日も、世阿弥の言葉を続けます。

「稽古は強かれ、情識 (じょうしき) はなかれ」とは?

稽古も舞台も、厳しい態度でつとめ、決して傲慢になってはいけない、という意味です。

世阿弥は、後生に残した著作の中で、繰り返しこの言葉を使っています。「情識」とは、傲慢とか慢心といった意味です。

「芸能の魅力は、肉体的な若さにあり、一時のもの」という、それまでの社会通念を覆したのが、世阿弥の思想でした。それは、「芸能とは人生をかけて完成するものだ」という考えなのです。

「老骨に残りし花」は、観阿弥の能を見ての言葉です。老いて頂上を極めても、それは決して到達点ではなく、常に謙虚な気持ちで、さらに上を目指して稽古することが必要だと、世阿弥は何度も繰り返し語っているのです。

いくつになっても慢心せず、虚心坦懐に修練を重ねる

慢心は、人を朽ちさせます。それはどんな時代の、どの人にも当てはまることでしょう。

そして、ある頂きを究めたとしても、その先には更に大きな頂きがそびえています。人がその一生をかけて究めることができるのは、その中でも限られた頂きです。

少し話は変わりますが、ギリシャの哲学者であるソクラテスの言葉に「無知の知」があります。自分は無知であることを知っている (自覚している)、という意味ですね。

あのソクラテスをして、こう言わしめたのですから、人間どこまで究めても知らないこと、できないことは沢山あるわけです。

いわばどこまで行ってもゴールには到達しないわけですから、そこを目指すのでは無く、毎日毎日少しずつゴールに近づいていること、昨日より今日、前に進んでいることが大切だと思うのです。

そう考えれば、人生最後の日を迎えた時、ゴールに到達していないのは当たり前のことで、その日まで懸命にゴールに向かう道を歩き続けてきたかどうかで、その人の価値が決まると言ってもいいかもしれません。

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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!

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(2017.10.13記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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