(画像引用元はこちら)
さて、これまで出版への道を志すことになった経緯、想定読者に伝えたいことを書いてきました。 (こちらのページ参照)
前回は、もし残された時間が3年しかなければ、あなたは何をやりたいですか?と問いかけました。
今度は、あなたが亡くなった時を思い描き、そこから逆算して今日からの生き方を考えてみましょう。
終わりを思い描くことから始める
これは、スティーブン・R・コヴィー著の「完訳 7つの習慣」に出てくる第2の習慣です。
この本では、単に依存している立場から、まず第1〜第3の習慣をもって「私的成功」に導き、依存状態を脱し自立を果たすことが書かれています。
そこから、第4〜第6の習慣により「公的成功」に到達し、望ましい「相互依存」の関係に発展する姿を描きます。
最後に、第7の習慣により、更にブラッシュアップすることが説かれています。
今回着目したのは、第2の習慣「終わりを思い描くことから始める」です。
自分の葬儀に参列してくれる人に、どんな弔辞を読んで欲しいか
本書には、ある葬儀に参列して棺の中を見て、そこに横たわっているのが自分自身だと知り驚くシーンが登場します。
そして、親族・友人・仕事関係の知人・地域活動を一緒にしてきた知人が弔辞を読むのです。
ここで著者が読者に問いかけます。「あなたは、これらの人たちに、あなた自身あるいはあなたの人生をどのように語ってほしいだろうか?」
それに対する答えに含まれる価値観が、人生におけるすべての行動を測る尺度、基準となり、それを念頭におけば今日という一日を始めることに繋がっていく、と著者は説きます。
「私は何をもって憶えられたいのか?」
自分の葬儀で弔辞を読んでくれる方が、どのような弔辞を読んでくれるかは分かりません。
でも、どんな弔辞を読んで欲しいのか、については自分で決められます。そして、そのような弔辞を読んで貰えるように生きていくはずです。
すなわち、自分の過去や現在はともかくとして未来、それも自分の人生の最後を思い描き、そこから現在に向けて線を引くとしたら、今日を、明日を、これから1週間をどのように過ごしていくか、決めることができるのではないでしょうか?
ともすれば流されがちになる日常の中で、日々「私は何をもって憶えられたいのか?」と自問自答を繰り返すうちに、自ずからある方向を目指して、行動基準が定められてくると思うのです。
さて、また長くなってきたので、続きは次回に。
では、また!
・・・・・・・・・・・・
(2018.1.10記)