「今日は何の日?」シリーズ第81弾です。
さて、先月のブログでは、9月3日が元読売巨人軍の王貞治選手がホームラン世界最高記録を樹立した日、9月23日が年間55本のホームラン記録 (当時) を記録した日であることをご紹介しました。
そして、9月29日は昭和の大横綱 千代の富士が、国民栄誉賞を授与された日であることを書きました。
となると、「三丁目の夕日」世代としては、昭和の「柏鵬時代」を書かないわけにはいきません。
今から53年前、1961年 (昭和36年) 10月2日は「柏鵬時代」を築いた大鵬と柏戸が、同時に横綱に昇進した日なのです。
「柏鵬時代」の到来
この時から始まった「柏鵬時代」は、昭和30年代後半からの高度経済成長期において、相撲黄金時代を支えたのでした。
昭和の大横綱と呼ばれ、通算優勝記録32回で第1位の大鵬とは常に比較され、絶大な人気を誇った大鵬と比べると分が悪い柏戸でした。
柏戸は、優勝回数こそ5回で、大鵬の32回と比べると少ないように見えますが、横綱在位47場所(歴代6位)、優勝に準ずる成績を残すこと15回で勝率も低いとは言えませんでした。
大鵬との相性の良さがあったようですが、当時を知る人の中では柏戸を「弱い横綱」と評する人は少なかったのです。
また、大関時代までの大鵬にとっては最強の壁で、大関時代までの対戦成績は、柏戸:7勝・大鵬:3勝でした。その後、大鵬が10勝10敗で並んでから、16勝16敗までは全くの互角で、真に両雄伯仲の柏鵬時代を築いたのです。
「巨人・大鵬・卵焼き」の時代
しかし、一般的には、そして特に少年に絶大な人気を誇ったのが、「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉があった通り、巨人のONコンビ王・長嶋、そして横綱 大鵬だったのです。
大鵬は、長身色白美男子で、同じ昭和の大横綱 千代の富士の「ウルフ」と呼ばれた筋肉質で精悍な風貌とは対照的でした。
常にゆったりとした動作で、取り組みもがっちりと受け止め、おもむろに寄り切ることが多かったと記憶しています。
ほんとうに横綱らしい風格が滲み出ていました。(その印象が強烈だったので、朝青龍が横綱の時はつい大鵬と比べて、もう少し品格を持って欲しいなぁ、と思ったものでした…(^^; )
YouTubeに大鵬の土俵入りの映像がありました。独特の間の取り方など、その土俵入りは優雅とさえ言えるのではないでしょうか。是非ご覧下さい。
・・・というわけで、最近の「今日は何の日?」シリーズは、昭和の思い出のシーンをご紹介することが多いですね。
過去何があった日なのか調べる時、自分の幼少期の思い出に繋がる出来事についつい目が吸い寄せられてしまいます。
そして、その出来事の事実関係や背景を確認していくうちに、幼かった当時には知り得なかったことが分かってきます。
そんなことの一つひとつが楽しい「今日は何の日?」シリーズなのでした。
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さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
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(2014.10.2記)